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「2018年08月」の記事

サハリン州立郷土史博物館③

2018/08/31         

博物館の展示物は、樺太アイヌ、ニブフ、ウイルタの民族の物です。樺太アイヌの場合明治政府の政策から北海道に強制移住させられたことにより、現在残された人々は極わずかと言われています。それぞれの民族の衣装にはそれぞれの特徴が生かされていて、その違いが見て取れます。ただ一緒に展示されている生活の道具などには、かなり近い共通点が見られます。特に冬に使われる道具などについては、その用途や使用方法などほとんどに...

サハリン州立郷土史博物館②

2018/08/30         

博物館の展示の中には先住民族に関するものも多くあります。日本の歴史から見れば蝦夷地と北蝦夷(樺太)として、松田伝十郎や松浦武四郎、間宮林蔵など多くの探検家が、未知の世界を解き明かして行きました。そこに登場してくる樺太アイヌやニブフなどの北方民族です。北海道の博物館でも見られるアイヌ民族の衣装が残されています。また樺太アイヌの子孫が何人か現在も健在です。北海道にも保存さえている「アッツシ織」と鮭の皮...

サハリン州立郷土史博物館①

2018/08/29         

日本統治時代に建てられた旧樺太庁博物館が、現在も博物館として使用されています。すべてがロシア流に展示されていますが、歴史として日本時代に関わるものも残されています。かなり頑丈な建物ですが、ロシアの時代になっても何度も修復を繰り返していますが、さすがに瓦屋根の修復は困難を極め北海道に協力を求めて手がつけられました。日本時代の生活用品も展示されています。...

サハリン鉄道局(クリックして全文を読む)

2018/08/27         

サハリンの鉄道に関しては、1945年の終戦後に日本が開発してきた鉄道をそのまま使用してきました。勿論、大陸と違った日本の狭いレールと車両をそのままにして、つい最近まで利用していました。そのためフェリーによって大陸から運ばれた車輛を、ホルムスクの台車交換場で入れ替えて、島内の路線を走っていました。現在では、3本の線路を引きその側を利用して大陸サイズの車両が走ることが可能になりました。サハリン鉄道局の...

ホルムスク発 ワニノ行きフェリー

2018/08/26         

サハリン島と大陸側ワニノ港を結ぶフェリーは、40~50名の旅客のほか、鉄道貨車車輛24輌が積載可能です。最近では貨物車輛の予約が少ない便を選択して、トラックや乗用車などが積載できる便として運航される場合もあるようです。定期な貨物の輸送手段として、サハリン島と大陸間にとって経済に大変大きな役割を果たしています。港の中心であるフェリーターミナルには、関係する官庁や関連企業の多くが集まっています。勿論、...

ホルムスク 港とその街並み

2018/08/24         

ホルムスクは、港を中心に発展してきました。そもそも大陸との航路を運航するフェリーと貿易を中心とした商業港が港の中心的な存在でした。そもそも日本時代に開発された港です。一部の岸壁や突堤の原型など日本統治時代に整備された港の外観が殆ど残されています。もう一つの港は、かつて漁港として使用されていたものですが、石油・ガス開発が進むなかでサハリン2プロジェクトの専用港として目的がかわりました。かつての北真岡...

サハリン 旧真岡の面影

2018/08/23         

サハリン州ホルムスク市は、日本統治時代は真岡という街で漁業をはじめ港町としての利を生かして、大変繁栄していました。ここは現在のホルムスク市役所で、日本時代は真岡中学校のあった場所です。現在は海に向かって町全体が見渡せる場所で、市の中心的な地域となっています。この場所は、あまりにも有名な悲惨な歴史に残る事実がおこった旧真岡郵便局の跡地です。9人の電話交換手の尊い命が散ったと今にも語りつたえられる場所...

サハリン 西海外岸ホルムスク(クリックして全文を読む)

2018/08/22         

今やサハリン州内3番目の街に後退してしまいましたが、ホルムスク(旧真岡)も外国からの貨物を扱う国際港です。大陸とのフェリー航路もここから出ている重要な役割を果たしています。州の南に位置するコルサコフよりも早くから外国と貿易を行っていて、私のチャーター航路もこの港から始まりました。そんなことからサハリンに初めて日本製中古車が運び込まれたのが、30年も前のこの港でした。それから長い期間特に北海道の港か...

コルサコフ郊外 日本時代の残像

2018/08/21         

コルサコフ市の郊外にプリゴロドノエLNG基地を望む小高い丘があります。旧地名は女麗(めれい)と呼ばれる漁村でした。この地が歴史的に登場するのが、明治38年7月7日の日本軍の上陸作戦でした。日露戦争に末期に203高地の攻略を成し遂げた日本は、その後の日本海海戦に勝利した勢いでこの日樺太に上陸し、その後樺太を占領してしまいます。現在は横たわっておりますが、その上陸記念碑としてこの地に建てられたもので、広...

プリゴロドノエ LNGプラント基地

2018/08/20         

現在のサハリンの繁栄を象徴しているLNGプラント基地プリゴロドノエは、かつて昆布が生息する人気のいない海岸でした。しかし日本統治時代は女麗(めれい)という地名で、この海岸一帯は、良質の昆布が獲れていました。昆布が生息するということは当然ウニも生息していました。何年か前までは、ロシア人にとって昆布もウニも全く興味に値しないものでした。言ってしまえば、毛ガニも同じようなものでした。しかし今は、どれもこれ...